「弱者の居場所がない世界」を読んで

 2011年、当時の菅直人総理大臣が「一人ひとりを包摂する社会」を目指すため、特命チームが設置された。では、社会の一人ひとりを包摂すること、つまり「社会的包摂」とは何であろうか。それは、従来の貧困の考え方を革新した「社会的排除」の対となる考えである。ヨーロッパでは今まで貧困(poverty)として考えていた問題を社会的排除(social exclusion)と考え直し、政策を組み直す動きが起こっている。貧困と社会的排除の違いは、前者が物質的な欠如等を表すのに対し、後者が人々の社会における立ち位置等を表しているところだ。社会的弱者に位置づけられる人々は特に社会的排除の影響を受けやすい。

それが顕著に見受けられたのは2011年の東日本大震災後である。生活に余裕があった被災者たちは困難な状況から抜け出すのは比較的容易であったが、被災した社会的弱者(災害弱者)に関しては避難所での集団生活や新たな職探しという点で大きなハンディキャップを負わされていた。私たちはこうした自然の影響を最終的に決定打とするのは社会の仕組みであり、そしてその影響をもっとも受けるのは社会的弱者の人々であるということである。

 この本を読んでいく中で、格差問題や社会的排除がどう社会全体に影響するかを理解するのに非常に役に立ったのは「自転車反応」と呼ばれるものである。

 格差のある社会に関しての調査においては、所得の格差が大きい社会であればあるほど、ほとんどの人を信頼できると答えた人の割合は低いものとなっていたり、殺人、喧嘩、いじめの件数が多くなっているというデータがある。これを図的に説明できるのが前述した自転車反応である。人々は自らより上の存在には空気抵抗を避けるかのように頭を垂れ、しかし自らより下の存在にはペダルを漕ぐかのように自らの地位を保つ踏み台にしようとする。実際、筆者の知り合いのホームレスの方々で少年らに暴行されて亡くなった方もいるそうだ。

 高校3年生になってからいままで私は、高齢者の貧困をゼミの研究テーマとしてきたが、一年生の時の活動を振り返ってみると、当時のゼミとしてのテーマは社会から隔絶かせてしまっている老人ホームの人々を社会と結びつけることであった。この現象は、社会的排除を表していると言えないであろうか。本の中で紹介されていたものはホームレスの人々や、災害弱者がメインであったが当時関わっていた人々もそうした現象の被害者だと考える事ができたら、自分ごとと考えやすい。

 本の中で生活に必要最低限なものというのを定義するのは日本では少し難しいと述べてあった。なぜなら、急速に発展した日本社会においては現代社会には対応できないような古い生活の思想が残っているからだそうだ。しかし、もし自分でだったらどうだろうという視点を全員がもれなく持っていたら低所得者の方々も過ごしやすい社会が作りやすいのではないかと考える。

 この本を読んで感じたことは、人々の居場所を奪う可能性はどこにでもあるということだ。そこには経済的な問題もあれば心理的なものあり、非常に複雑なものであった。本のなかで紹介されていた、仕事をクビになるということはお金がなくなり、住む場所がなくなる等の負の連鎖は日本に移民として、出稼ぎとしてやってくる外国人にとても当てはまるところがあると考えられるので、もしこれから更にグローバル化が進行すればこの問題はさらに大きくなってしまうだろう。自転車反応が表すように、全員が暮らしやすい社会をつくるためには全員の生活を考える必要がある。だから、日本人の意識を統一していく必要があるだろう。この問題は独自の近代化をした日本だからこそのものなのかもしれない。

『弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂』 講談社現代新書 阿部彩著