日本社会では今、人口減少、少子高齢化が深刻化してきている。働き手が減ってしまうと経済成長率を押し下げたりするなど、その傾向は年々進む一方である。年金、医療など社会保障の一部は国が負担するため、財政状況はより悪化するだろう。そして、夏休みにユアハウス弥生を訪れたことをきっかけに、私は今回岡本祐三さんの「高齢者医療と福祉」という本を読んだ。
まず私が目に付いた内容は「お葬式」についてのものだった。長寿化が進行する中で、死亡数が増え続ける理由として、団塊の世代の高齢化と、とくに75歳以上の後期高齢者人口が、今後著しく増加するためである。またその問題としてターミナルケアに今注目が集められている。ターミナルケアの患者はなかなか自宅に帰れない。その日までのケアに多くの時間と人手が必要になる。こうしたターミナルケアの患者さんがベッドをふさぐ割合が高くなると、救急や急性疾患の患者の受け入れにも支障が出るだろう。実際に、埼玉県内にあるがん患者専門の大きな病院である埼玉医療センターでさえも100を超える患者の待ちがある。病院としては、地域ニーズに応えるためにも、急性患者を優先的に入院させる必要があるから、ターミナルケアの患者さんが入院できなくなってある減る可能性も出てくる。そこで行っいるのが在宅死だ。
例えばがん患者の場合、厚生省で家で看取りたいと答えた人は53%と半数を超えていた。在宅医療は患者さんの精神的支えの役割を担う家族が近くにいて、住み慣れた環境で療養できる。しかし、在宅医療の最大の問題のひとつは、家族の負担が非常に重いことだ。また、精神的な負担である、制度では解決出来ない問題もある。それは「自宅で死ぬのを恐れる家族がかなりいること」だ。何ヶ月も自宅で介護していたのに、最終的に「家出しなれるのが怖い」と病院へ入院させてしまうことも多々あると記載されていた。やはり、死がきわめて非日常的なことになってしまっているからではないからではないかと私は思う。
最も日常的な生活の場で死に直面すると狼狽(ろうばい=あわてふためく)してしまうのだ。そこで私は解決策を考えた。それは子供の時から“死”を意識させることだ。こないだ私が本屋に行った時に「ママがオバケになっちゃった!」という本を見つけた。見ると、自分のお母さんが交通事故でなくなってしまった内容でした。絵本の中で、1回でも自分のお母さんがいなくなる(擬似)体験をする事で、ママが“ない”ことを見つけるから“ある”を感じられる本だと感じた。
私たちは単なる受け身的な世話ではなく、介護を自立支援だと考えなくてはならない。実際に、高齢者医療の発達した北欧では、社会的な介護制度が整備されたことにより、苦悩から開放された家族の絆がより深まったという調査結果が出ている。性悪説的な人間観が強く現実直視の北欧では、老人虐待などについても日本に比べて早くから社会問題化した。それが、社会的な介護制度を推進する大きな力となった。だから、家族の死をあまり話さない日本は国民的な性格からきているのかもしれない。
この本を読んで、福祉の充実と経済成長は両立すること、そしてそのような社会こそが本当に豊かな社会であることも知った。
『高齢者医療と福祉』 岩波新書 岡本祐三著